いや〜〜、びっくりしたけど、うれしい。
 
 井ノ原さん、瀬戸さん
 
      ご結婚おめでとうございます<
 麻婆豆腐は、中国の長江の上流、四川地方を代表する豆腐料理である。本場四川料理の麻婆豆腐は、山盛りの唐辛子で煮込んであり、汗ばむほどに辛い。本場のメニューでは、「麻辣豆腐」と表示され、この場合の「麻」はしびれる、「辣」は辛いという意味。文字通り、本来は舌がしびれるほどに辛い料理なのである。
 さて、「麻婆豆腐」と書くからには、やはりこの料理には’お婆さん’が関係している。その昔、この地方にアバタ面のお婆さんがいた。このお婆さんの作る「麻辣豆腐」がおいしいと評判になり、やがて近所の人たちがこの料理を「麻婆豆腐」と呼ぶようになったのだ。
 「麻」という字には、しびれるのほかに、アバタという意味もあったためである。

 すき焼きは、好みの具を入れて煮込むから「すき焼き」というわけではない。すき焼きの「すき」は、もともと農具の「鋤」のことなのである。
 一九〇年ほど前、大阪で出版された「素人庖丁」という書物によると、鋤を火にあぶって、よく焼いてから油をかけ、その上に三枚におろしたハマチを並べて焼くと書かれている。当時は、獣肉は食べなかったので、魚を焼いて食べていたのである。
 牛肉を鋤焼きにして食べたのは、安政元(一八五四)年、ロシアの使節プチャーチンが、長崎に入港したときが最初だという。
 この鋤焼きが発展し、今のようなすき焼きを食べさせる店が横浜に登場したのは、明治二(一八六九)年のこと。やがて、東京にも、すき焼きの店が相次いでオープンした。これらの店は、新鮮な肉が「今すぐ」食べられるという意味で、今金、今半など、屋号に「今」という字を入れた。
 現代でも、すき焼き店に「今」という字を使う店が多いのは、このためである。

 関西では、おでんのことを「関東炊き」という。この練り物などを煮込む料理に「関東」という言葉が付いたのは、薄味を好む関西圏で、唯一このメニューだけは、関東地方のように濃いダシでぐつぐつ煮込むからである。
 その名前からもわかるように、この料理が生まれたのは関東地方で、関西に進出したのは大正時代のこと。「関東炊き」という名前が生まれたのも、同時期のことである。
 とはいえ、関東風おでんと関西風の関東炊きとでは、かなり味が違う。まず、ダシの取り方が違い、関東ではコンブとカツオでだしをとり、砂糖.醤油で味つけするが、関西ではトリガラスープも使う。
 また、関東のように濃いダシで煮込むとはいっても、やはり関西のほうが薄味。おでんダネにも違いがあり、関西では独特のタネが多く、サエズリと呼ばれるクジラの舌やタコなどは、関西の「関東炊き」独特の味だ。

 スイカを「西瓜」と書くのは、西の地域から伝わった瓜の一種という意味である。この「西瓜」という言葉を作ったのは中国であり、「西瓜」の「西」は中国のさらに西、中央アジアを指している。
 日本で、スイカが栽培されはじめたのは、南北朝時代からである。このときは、中国人に倣って「西瓜」を「シャアカ」と発音していた。この「シャアカ」が、時代を経るにしたがって、日本人の発音しやすい「スイカ」に変わってきた。
 しかし、スイカはなかなか日本ではポピュラーな食べ物にはならなかった。江戸時代までの庶民は、赤い果肉が血肉に似ているからと嫌ったのだ。

 トウモロコシという名前には、不思議なことに「トウ」と「モロコシ」、二つの中国の呼び名が入っている。
 トウモロコシが、日本で本格的に栽培されるのは、明治時代になってからのことで、それ以前は中国から輸入されていた。日本に紹介された当初、これが、日本のキビに似ているというので、まず「モロコシキビ」という名になった。
 さらに、「トウ」がついたのは、輸入物には、新しいという意味で、’唐’をつける習慣があったため。つまり、中国から輸入された’モロコシキビ’に、新たに「トウ」をつけたのである。
 また、トウモロコシはもともと中米原産であり、コロンブスが中米からヨーロッパに持ち帰ったもの。それが、一五七九年、ポルトガル人によって、日本に持ち込まれたという記録も残っている。こちらは、ポルトガル人を南蛮人と呼んだことから、「ナンバン」と呼んだ。この呼び名が、今も残っている地方もある。

 野菜は、一日のうち、いつ収穫すればいちばんおいしく食べられるか、という研究が、農林水産省で行なわれたことがある。実験に使われたのは、枝豆と小松菜。収穫された時間によって、おいしさの成分を比較しようというわけだ。
 それによると、枝豆の場合、甘味のもとになる蔗糖とアラニンは日沒ごろにいちばん多くなり、旨味のもとになるグルタミン酸は、正午前後がピークだった。
 小松菜もほぼ同様で、正午から日沒にかけてがおいしさの成分がいちばん多く含まれていたが、その理由は、光合成の活発さにあると推定されている。
 枝豆を家庭菜園で栽培している人は、夕方、ビールで一杯やる直前に畑からひっこ抜いてゆでるべし。

 フィルムの枚数は、ご存じのように一二枚撮り、二四枚撮り、三六枚撮りと、一二の倍数になっているが、これはフィルムメーカーどうしの熾烈な競争の落とし子といえる。
 フィルムが現在のような筒型のパトローネに封印されるようになったとき、その容量の限界は三六枚だった。で、最初はこの三六枚撮りが主流だったのだが、その後、廉価版として、半分の一八枚撮りが登場。さらにカラーフィルムが誕生すると、コストが高いためか、ドイツのアグファ社が一二枚撮りを発売。こうして、一時は一二枚撮り、一八枚撮り、三六枚撮りの三種類が売られていたのだが、さらにカメラが普及し、競争が激化すると、一八枚撮りに二枚サービスした二〇枚撮りが登場。
 ここから先は記憶に新しい人もいるはず。「どっちがトクかよく考えてみよう」というCMがきっかけで、二〇枚撮りは二四枚撮りへと進化していったのである。

 花火の格は、大きさ、形、色のほかに、もうひとつ音で決まるといわれる。
 たしかに、どんなに美しく大きな花火でも、「ドーン」という腹に染み渡るような音がしなければ興ざめだが、では、あの花火の音はどうして出るのかというと、これが単なる火薬の爆発音だと思ったら大間違い。じつは、花火の中に「発音剤」なるものが入れられているのである。
 この発音剤、原料はアルミニウムや三流化アンチモンといった化学物質だが、これらの調合を変えることで、「ヒュルヒュル」や「バーン」「ズドーン」など音が変わってくる。最近は研究も進み、ドレミの音が出る花火も登場している。

 電柱には、いくつか意外な点がある。まず、電柱はまっすぐな柱ではないこと。ポールの下部は直径四○センチ、上部は一九センチと上にいくほど細くなっているのだ。また、あの柱の中は空洞になっている。これは、目方を軽くし、輸送を楽にするためだ。
 さて、あの長いコンクリート柱は、専用の運搬トラックを使って、横倒しにして運ぶ。作業地点では、大型のドリルで電柱の長さの三分の一ほどの深さの穴を掘り、クレーンで電柱をつり上げて中に入れる。その後、周囲に土を盛り、その土を機械で固めて作業完了となる。
 それで倒れてこないものかと心配になるが、電柱から電柱へと張られている電線が支える役目を果たしているため、大地震でも起きないかぎり倒れることはない。

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