渋谷の銅像で有名な忠犬ハチ公は、飼い主の死も知らずに、一〇年間も渋谷駅で主人を待ちつづけたといわれる。
 ハチ公は昭和一〇年に息をひきとったが、彼を解剖したところ、胃の中から焼き鳥のクシが四、五本も見つかった。どうやら渋谷の酔っ払いたちが、腹を空かせたハチ公を哀れに思い、焼き鳥を与えていたらしい。だが、そのクシがハチ公の胃を傷つけ、死に至ることになったのである。
 その後、ハチ公の遺体は剥製化され、現在は上野の国立科学博物館におさめられている。

 最近、電車の中などで盲導犬を見かけることが増えてきた。この盲導犬、飼い主を先導するだけでなく、信号が赤ならちゃんと止まる。つまり、彼らは信号を見分けることもできるのだが、こういうと疑問に思う人もいるはずである。
 なぜなら、盲導犬にかぎらず犬は色盲だからである。当然、信号の色も見分けられないはずなのだが、なぜ、盲導犬にはそれができるのか?
 じつは、盲導犬は信号の色ではなく、明暗によって赤信号や青信号が区別できるよう、長い時間をかけて調教されているのだ。
 実際、信号の赤と青では波長が違い、それが明暗の差になる。
 盲導犬と調教師たちの訓練を想像すると、犬好きならずとも、涙が出そうな話である。

 犬は飼い主の顔をよくなめる。飼い主の中には、それを’親愛の情’と受け止めている人も多いだろうが、犬は親愛の情というより、飼い主に服従します、という意味で顔をなめているのである。
 これは、子犬のころ、母親の鼻先をなめることで食べ物をねだるという行為が身についてしまったためと考えられている。つまり、言葉は悪いが、顔をなめることで、卑屈なまでに相手の機嫌をとり結ぼうとしているわけだ。
 人間世界では「なめるなよ」といえば、「俺を見下すなよ」という意味だか、犬の世界はまったく逆である。

 「いただきます」は本来、両親など特定の人間に向かって言う言葉ではない。もともとは、神への感謝を表わす言葉だったのである。
 その昔、台所には荒神様という火の神がまつられていた。この神様のおかげで、安全に火を使い、煮炊きができると信じられていたのである。
 食事作法が厳しかったのも、妊婦が台所へ入ることを穢れるからと嫌ったのも、この荒神様を敬う心からだった。
 だから、台所で作った食事を食べるとき、荒神様への感謝を込めて、「いただきます」と言うようになったのだ。もちろん、食後に「ごちそうさま」と言うのも、荒神様に向かって言う言葉である。

 「雨」の読み方は出身地によって、三通りに分かれる。
 まず、一つ目は「雨」の「あ」にアクセントを置く人である。これが標準語式の発音であり、関東地方の人は、おおむねこう発音する。
 「雨」の「め」にアクセントを置くのは、関西の出身者。ほかにも、東京と関西では、高低のアクセントが逆になる例が多く、「花、山、犬、紙、川、夏、冬」などは反対になる。
 そして、「あ」と「め」、そのどちらにもアクセントを置かない人もいる。そう発音する地域は、全国的に広がっていて、宮城県の仙台以南、山形県の東南地域、福島県、栃木県、茨城県、福井県の一部、熊本県、宮崎県などである。言語学では、これらの地域はゼロ.アクセント地域と呼ばれている。

 姓を「苗字」ともいうのは、なぜか?
 これは「苗」という字が使われているように、日本人が農耕民族であることと深い関係がある。
 その昔、日本人は大家族で暮らしていた。これは、稲作を中心とした農業に多数の人手が必要だったから。逆にいえば、家族が一致団結しないことには稲作もままならなかったわけで、だからこそ、血縁が重視された。
 家族のメンバーは、協力して稲作にあたり、収穫した稲も分けあった。こうして共同で開拓した田に、同じ苗代で育てた苗を植えることが社会的な単位になった。つまり、この単位の屋号が「苗字」というわけである。
 日本に、田のつく「田中」や「山田」「吉田」「太田」「中田」などの苗字が多いのも、おそらく稲作と苗字に密接な関係があったためだといわれている。


 北極グマは、名前のとおり北極を中心とした極寒地帯に生息している。
 そのため北極グマの防寒対策には念が入っている。
 まず、体毛は二重構造になっていて、上毛の下に短い下毛が密生し、冷水や寒風をシャットアウトする。普通のクマとは、寒さに対する備えがまったく違うため、北極グマは冬の寒さから、冬眠というかたちで逃げ出す必要はない。
 ただし、北極グマもまったく冬眠しないわけではない。
 北極圏の中にも、食糧が豊富な地域とそうではない地域があり、食糧の乏しい地域に住む北極グマは、活動を最低限に抑えるために冬眠するのだ。
 一方、食糧が豊富な地域の北極グマは、草、苔まで食べられる雑食性を大いに発揮して、極寒期もエサを求めて動き回っている。

 ヒマラヤやアルプスの頂上近くは、つねに雪をいただいている。
 一万年もの昔からその風景には変わりがないように思え、そこから「万年雪」という言葉が生まれた。
 しかし、万年雪は本当のところをいえば、下の方からたえず溶けつづけている。万年雪を溶かしているのは、地球の地熱で、新しく空から降って積もるぶん程度には、溶けつづけている。
 つまり、万年雪とは、下になった古い雪は溶けだしているが、一方で空から新しい雪が補給されつづけている状態といえる。同じ雪がそこにとどまっているわけではなく、毎日のように新陳代謝している雪なのだ。

 「畿」とは、もともと「都」を表わす文字。だから、近畿とは「都に近い場所」という意味になり、もともとは京都を中心にした地域のことを指した。現在では、近畿地方というと、京都、滋賀、大阪、三重、奈良、兵庫、和歌山の二府五県を指す。
 この近畿を一回り小さくしたのが、「関西」という言葉である。もともとは、近江国(滋賀県)の逢坂の「関」から「西」の諸国を指す言葉だったが、今では京都、大阪、神戸など京阪神地方を限定するような使われ方をしている。

 近年、牛肉のバリエーションが増えている。かつて「和牛」といえば、それだけで財布が軽くなりそうだったが、最近は輸入肉とさほど変わらない値段の「国産牛」が増えてきている。
 話はややこしくなるが、日本国内産の牛すべてが「和牛」というわけではなく、別に「国産牛」という牛肉があるのだ。
 「和牛」はもともと精肉のために育てられた牛であるが、「国産牛」はそもそもは乳牛である。
 乳牛とはいえ、半分はオスが生まれてくる。そういうオスを去勢して、食肉に適するように飼育した牛が、国産牛と呼ばれているのである。

 BLOG TOP  »  NEXT PAGE