昔から、板ガムには決まったスタイルがある。まず、銀紙で包み、さらにその上にもう一枚包み紙があるのだ。衛生上は、銀紙一枚で問題なさそうだが、なぜ二重になっているのだろうか?
 今では、メーカーでも二重に包装する理由はよくわからなくなっている。
 ただ、チューインガムは約一世紀前にアメリカで生まれたもので、日本には敗戦後に入ってきた。そのとき、カラフルなラベルに包まれたガムには、アメリカ生まれのお洒落なイメージがあったという。
 銀紙だけに包まれているのではないところに、ガムの価値があったというわけだ。
 たしかに、銀紙だけのガムは想像するだに味気ないが、今では、上の包装紙は「葉緑素でお口のエチケット」とか「大人の辛口ガム」といった商品コンセプトの’宣伝用紙’になっている。

 サツマイモを油で揚げ、砂糖飴をからめて、煎りゴマをまぶす。これで、「大学いも」の出来上がりである。この「大学いも」というユニークな名前の由来には諸説ある。
 ひとつは、サツマイモの調理法に由来するというもの。大学いもができたのは大正時代の初めだが、それ以前、飴をからめ、ゴマをかけるようなイモ菓子は存在しなかった。そこから、そのアイデアに敬意を表して、最高学府である「大学」という形容詞が付いたという説である。
 もうひとつの有力な説は、当時、東京大学の近くにあったイモ屋が、揚げたイモにミツをつけて売ったところ、東大の学生に大ウケした。そこで、誰いうともなく、大学いもという名前になったという。この説に立てば、大学いもの大学とは東大だったというわけだ。どうやら、この説のほうが事実に近いようなのだが、残念ながらその三河屋というイモ屋は現在は存在しない。

 冬、とくに女性の食欲を刺激するのが、街角の小型トラックから流れてくる「いーしや〜きイモー」というフレーズ。
 石焼きイモがおいしいのは、その名のとおり、石で焼いているから。石でゆっくり焼くことによって、アミラーゼという酵素の働きが活発になり、サツマイモのでんぷん質が糖分に変わるからだ。
 ちなみに、サツマイモを電子レンジで温めたり、直火で焼くと、すぐにイモに火が通ってしまうため、アミラーゼが働く時間がなくなる。これでは、やわらかくても、甘くない焼きイモになってしまう。
 さらに、石でじっくり焼いたサツマイモは、皮の部分もこんがりと焼け、食欲をそそるピラジンという香ばしい香りも出てくる。
 家庭で石焼きイモを作るときは、せめてオーブンで焼くこと。それも、できるだけたくさんのサツマイモをオーブンに入れ、焼く時間を長くするのがコツだ。

 パンやケーキ製造の世界では、小麦粉を中心にして練り上げた生地のことを「ドウ」と呼ぶ。これを油で揚げたものが、「ドーナッツ」である。
 このドーナッツ、古いお菓子であることは確かなのだが、いつごろできたのかは明確ではない。今ではドーナッツといえば、真ん中に穴の開いたものと決まっているが、これは揚げるとき、火の通りがよくなるようにという比較的新しい工夫で、もともとは穴はなく、もっと小さいものだった。
 その小さくて丸い形が、ナッツに似ていることから、生地の「ドウ」と結びつき、「ドーナッツ」と呼ばれるようになったのだ。

 「今川焼き」は、水でといた小麦粉でアンコを包み、焼いた菓子のことで、地域によっては「太鼓焼き」とか「黄金焼き」とも呼ばれている。
 太鼓焼きは、太鼓のような形をしているから。黄金焼きは焼くと黄金色になるからで、これらはじつにわかりやすいネーミングである。
 では、「今川焼き」という名前は?桶狭間の合戦で織田信長に敗れた戦国大名の今川家とは何の関係もなく、江戸の神田に今川橋というのがあり、そこで売っていたことからついた名前なのだ。この菓子が生まれたのは江戸末期のことだから、今川義元は見たこともなかったはずである。
 ちなみに、ドラ焼きは小麦粉や卵で作った二枚の皮の間にアンコをはさんだもの。こちらは、銅鑼の形をしていることからの名前で、非常にわかりやすい。
 チョコレートの原形になるものは、メキシコのアズテック族によって作られた嗜好品で、「チョコラトル」と呼ばれていた。
 この「チョコラトル」という言葉の意味は、「苦い水」。チョコラトルは、カカオ豆を砕いて煮た汁を冷やし、それにコショウなどの各種の香辛料で味つけしたものだったからである。
 この’苦い水’を甘くしたのは、スペイン人たちだった。
 中米を訪れた大航海時代の探検家たちが、疲労回復に効くと飲んだのだが、香辛料の苦さがどうも舌になじまない。そこで、香辛料と同じ分量の砂糖を入れて、飲みやすくしたのである。
 これが、のちに固形化され、英語圏に伝わってから、「チョコレート」と呼ばれるようになった。

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